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春へ繋ぐ vol.2

 

春へ繋ぐvol.1

 

 

 

現役での受験が終わり、とりあえずこれから離れる友達とたくさん遊ぶことにした。ご飯を食べに行ったり、カラオケをしたり、プリクラを撮ったり。

高校の思い出をたくさん話したりした。満開の桜の中、そんな日々も少しずつ過ぎて行った。

 

浪人することを告げに高校に行ったら、その年に愛知県芸を卒業した中田真砂美先輩がちょうどいらしていた。次年度から新しく母校のサックス専攻の講師になるそうで、挨拶をして自分も浪人して愛知県芸を受けることを話した。

毎週先輩のレッスンも通うことになった。そしてその日最後に、

「浪人暇やと思うわー。絶対車の免許を取っときまっし。」

 

何をしたらいいのか若干路頭に迷っていた私は、すぐ自動車学校に通うことに決めた。

 

 

 

 

 

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母校で浪人することが決まった人は、週に何回か高校の練習室を借りて練習したり勉強して、学校の前のコンビニでバイトするのが通例となっていた。

私はアルバイトは初めてだったし、バイトの探し方もわからなかった。音大受験で浪人する、という事情が認知されている方が話が早いと思い、そこに面接に行って、アルバイトを始めた。

 

 

浪人生には、勝手に与えられる『時間の区切り』はない。

高校生までは学校に行けば授業が割り振られ、どう過ごそうが時間になればチャイムが鳴って、空気が切り替わる。それが一気になくなったのだから、当然ながら過ごし方がわからなくなった。全てを自分で決めなければならないのか。ぼうっとしていたら、気づけばバイトの時間になってしまう。それは私にとって結構しんどい事だった。

車校に通いながら夕方にはバイトを入れ、行ける日はなるべく母校に行って練習したり勉強したりして、自分の時間を管理して過ごす事を選んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月一の東京のレッスンと、毎週の地元のレッスン。新しくついた地元の先生のレッスンは結構厳しかった。「何故」をたくさん追求されて、答えられない事もたくさんあった。答えられるようにするために、必死で考えて練習していた。

ある日富山県で同じく受験をする現役高校生とレッスン室でばったり会う事があった。私が先だったから、先生にそのまま聴いて行けと言われて、その場にいることにした。

その子は音がまろやかで上手だった。スケールがとても滑らかだった。

 

「どう?なかなか良いやろ?三田も頑張りまっしや。」

 

 

 

 

 

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ある日、親戚の何らかのお祝いで、粟津温泉の旅館で会食をすることになった。

「楽器をやっているなら一曲聞かせてくれんか」と頼まれて、部屋にはピアノもないし完全ソロでやらなきゃならなかったので、当時の私はあまり乗り気ではなかったけど、お祝いの席だし…と思い優しい曲を演奏した。旅館の方も一緒に聴いてくれたりした。

親戚は喜んでくれた。旅館の方に、「今は学生さんなの?」と聞かれて、私は普通に「音大行くために浪人している」と答えようとしたけれど、母親に先を越され、「まあ、そんな感じで…勉強しているんですけど」みたいな言い方をして、私が浪人しているという事を隠そうとした。

何故浪人しているとはっきり言わなかったのだろうか。浪人していることは恥ずかしい事なのか?隠すような事なのだろうか。私は必死で練習しているのに。勉強しているのに…それは悪い事なのか?

私はもともと頻繁に怒りが表に出る人間ではないし、母親に対して物心をついた以降怒った事はほとんどなかったけど、その時は激しい怒りを投げつけた。

 

 

今思えば、私に恥をかかせたくないとか、そういう気持ちだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その年は愛知県芸と、もう一つ雲井先生が講師でいらっしゃる尚美学園大学を受ける事にした。

国立音大ももちろん興味はあったけど、国公立か特待生で入学するかしか道を選べなかった。尚美には特待生入試がある。どっちにしろ、狭き門には変わりはないんだけど。

 

尚美学園大学がどんなところか、一応知っておいた方が良いと思って、その夏にオープンキャンパスに行った。

思ったよりも小さな学校だったけど、穏やかな雰囲気だ。

大きな部屋で、参加者皆で一通り大学の話を聞いたあと、教授による公開レッスンになった。…え、このまま?

「じゃあ一番遠いところ出身の人から…お、石川県だね、じゃあ君から。」

その日、一番遠方から参加していたのは私だったらしい。

その順で発表されていき、最後の子は県内の参加者だった。私と同じ歳のようだ。だから興味があったし、ずっと覚えていた。それはのちのクアトレトロのベーシストになる彼女だった。

 

なかなかに緩かったけど、印象は悪くなかった。

 

 

 

 

 

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その秋、西尾先生に誘われて、つま恋で行われる『雲カルキャンプ』に参加した。

雲井雅人サックス四重奏団の4名が講師となり、3日間レッスンを受けたり交流できたりする催しだ。静岡県の掛川市。初めて降り立った。

参加者は趣味でサックスをやっている大人の方と、音大受験を考えている生徒たち。みんなほぼ初対面で、初めは緊張していたのを覚えている。

ホテルの部屋割りも主催者側で勝手に割り振られていたのだけれど、私と同室になったのは、未来でGreen Ray Saxophone Quartetとして音楽を共にすることになる、池原亜紀と川﨑有記だった。二人ともすごくフレンドリーで、人見知りな私はとても助かっていた。

 

レッスンは雲井先生のクラスで参加した。有意義な時間だった。先生は「これは知ってるか」「こういうのはわかるか」など、音楽以外のイメージや雰囲気を伝えてくれて、それは私にはとても刺激があったし楽しかった。考え方の方向が増えたような感じだった。同時に、自分は何も知らなすぎる、と思った。

 

つま恋での時間はとても濃いものだった。今でさえ、あの時お会いした方とも交流があったりする。

ゆきちゃん、あきちゃんとお互いを応援し合い、帰路についた。

 

 

 

 

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1月末、尚美学園大学の特待生入試。想像はしていたけど、受験生はたくさんいた。オープンキャンパスにいたあの子もいた。

入試の前日に電車で隣の酔っ払いに嘔吐されて気分は最悪だったけど、入試は大きなミスもなく、なんとかなった。

母校でたくさん面接の練習をしていって、最後のそれが一番緊張したけれど、教授の3名はみんな穏やかで、お茶会のような気楽な雰囲気で楽しかった。

帰る日は朝からかなり雪が降って、足元やスーツケースがグチャグチャになったまま電車に乗ったことを覚えている。

 

結果はすぐ来た。学費半額免除で合格。

とりあえず、何にしても来年は大学生になれる事が決まった。

 

 

 

 

 

尚美の入試が終わり、特待生で合格した事を告げに高校に行くと、たまたま東京からの外部講師の方がいらっしゃっていた。

挨拶をして尚美に受かった事、次は愛知を受ける事を話すと、

「習いたい先生は一緒で学費もほぼ一緒なんでしょ?関東でもいいんじゃない?埼玉なら東京すぐ出れるし。東京は何でもあって面白いよ。」と言われた。

まあ言われてみれば、確かにそうだ。

私は『愛知県芸に行きたい』のか、何なのか。

最後の受験は迫っていた。

 

 

 

 

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3月中旬、愛知県長久手。

前の入試を始めオープンキャンパスでも何回か来た道だから、道順や風景なんかももう覚えていた。

私は去年落ちた二次試験も通過し、最後の三次まで残った。サックスで残ったのは、14人中4人。

三次試験は楽典とか、聴音、副科ピアノ、新曲視唱。特に大きなミスはしなかった。ピアノの弾き心地がやたら軽くてちょっと焦ったのは覚えている。

 

一週間の長い試験期間を終えて、結果発表を見にもう一度愛知に行った。別に行かなくても郵送か何かで教えてくれたと思うけど、何となく行きたい気持ちになって、母と一緒に大学まで行った。

 

 

結果、私の番号はなかった。

 

 

もっとショックを受けるかな、と思ったけど、実際は関東に行くことが楽しみな気持ちになっていた。私は雲井先生に習えれば、学校に大きなこだわりがなかったんだ、と気づいた。

そして何より、長かった受験生が終わった事、やっと大学生になれる事が嬉しく、気持ちはとても晴れやかだった。

 

尚美学園大学、東武東上線上福岡。実はレッスンで何度も通った場所だった。

これも運命かな、なんて。

 

 

 

 

 

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尚美学園大学で過ごした四年間は、どの学生生活よりも濃いものになった。

のびのびした校風や余計なしがらみのない自由な仲間が、私には合っていた。

 

今はもう私が過ごした上福岡キャンパスは、川越キャンパスと合併して存在しない。

今は住宅街になっているその土地を見ると少し寂しい気持ちになるけれど、そこで過ごしたたくさんの風景は覚えている。

 

 

 

 

 

今の私と環境があるのは、今までの経験が導いたものだ。

あの時の偶然も、全ては必然。

全ての人がそうであるように。

 

 

 

 

 

 

 

※現在雲井先生は国立音楽大学のみで教えられています。