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赤いスイートピー

 

 

 

 

この前まで半袖で過ごしていたのに、最近は水道の水に触るのもはばかられるくらいひんやりしている。秋なんてあっという間だな。そうやって今年も過ぎるのだろう。年々秋が短くなっているような気がする。

朝夜の肌辺りも少し冷たい。そんな中、昨日は37回目の誕生日だった。
穏やかに、無事に迎えられました。

 

昨年の秋ごろから活動復帰に始まり、新しく撮影のお仕事を始めるに当たって講習を受けたり、またソロで公演してみようと動いたり、色々と手を出してみようと試みた年だった。
やりたいことに手を貸してくれ、協力してくれる人達がいることは恵まれている事だなと思う。コミュ障でどうしようもない人間だけど、信頼できる人々、そして応援してくれる方々が周りにいることで、なんとか生きていけているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

今年は周りの人が「循環」していると思う。同じグループで活動してたメンバーが卒業し、新しいメンバーの加入でのアップデート。なんでもそうだけど世の中の状態や何かが常に「同じ」である事なんてないと思っている。常に変わっていくし、なにかはなくなるし、なにかはまた生まれるのだ。

 

実は今年の夏に、母が他界した。62歳だった。この長寿社会ではめっぽう早い方だと思う。大きな病気と闘っていたのは知っているし、覚悟がなかったわけではないけれど…
しばらくは損失感が大きくて、一人になったり母に関連するものを目の当たりにすると考え込んでしまい、勝手に涙が出ることがつづいていた。気づいてなかったけどやっぱり大きな存在だったのだ。


とても暑く石川には珍しくカラリと晴れ、青空も夕陽も綺麗な日だった。

本当にたまたま私の家族やきょうだい、そして親戚も揃っていた日で、最後はみんなに見守られて母は静かに、眠るように息を引き取った。

 

冷たくなった母の顔を改めて見た時、60を過ぎていても肌がすごく綺麗だった。体調が悪くてもちゃんとケアしていたんだと思う。

最期の化粧は母がよく使っていたメイクパレットで私と妹がしたけれど、生きている時となんら変わらないように見えた。


何故優しく温かかった母が、こんなに早く旅立たなければならなかったのだろうか。実家に帰った時に見るパタパタ忙しなく走っている姿は本当にいないのか。
私は本当になにかできたのだろうか。まだ母に対してやり足りない事あるんじゃないのか?

5月に孫の七五三には絶対行きたいって騒いどったやん。なんでだよ。


私の持っている感情は、悲しさとともに

どこにも宛てられない怒りもあるのだ。


世の中にはずっと続くことはない。母は本当に白い骨になり、見慣れた姿はいなくなってしまった。人間は朽ち行くものなのだ。

 

親も、そしていつか、私も。

 



 

 

 

 

 

 

 

37年前に私という人間を産んでくれて。

心底自分という人間が嫌で消えたくなる時もあるけど、今無事に生きていることに感謝している。

今使っているアルトは、私が15歳の時に母が金沢で買ってくれたものだ。

もう20年以上もたってしまった。

その楽器で、何とか音楽にしがみついている。苦しい事から楽しい事まで、たくさんの色んな経験ができている。仲間や応援してくれる方たち。色んな人に出会えている。

あの時買ってくれなかったら、今は確実にないだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

母のように明るくアッケラカンとしているのは私には難しいけど、そのうち私も天に昇るときに良い話ができるようにしたいなと思っている。

 

次の本番は11/29だ、音の波紋vol.2

その次もありがたく、色々と決まってきている。

音楽やサックスがよくわからなくても、どんな内容の公演でも、元気な母は遠くまで聴きにきてくれる人だった。目の前にいると思ってやるつもりだ。
私は自分の考えていることをうまく話せないし、口じゃどうしても表現できないんだけど、母に与えられたアウトプットに最適な相棒で世界を出していくよ。

 

 

あたり前の事なんてないんだと改めて思った、そんな歳。
だから、今を生きていきたい。


変わらず根暗ですが、おかげさまで元気です。
37歳もよろしくお願いいたします。